健康モーニング 84
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 10年程前の年末に家族で、祖母に会いに行った時のビデオをみる機会がありました。その頃、祖母は、我が家からは遠く離れた郷里の施設に入所していました。父や叔父たちは、たびたび施設に飛行機で会いに行っていましたが、私が祖母に会うのは、何年かぶりでした。祖母は、起き上がることも話すこともできませんでしたが、私や兄をみて嬉しそうな表情をしていた様子がビデオには残っていました。あまり関わりのなかった祖母が、そんな表情をしたことは私にとっては驚きでした。そして、もっと会いに来るべきだったという罪悪感からか、私は旅の終わりを、こんな言葉で締めくくっていました。「春になったら、みんなでおばあちゃんに会いにこよう!」と。が、結局、その後祖母は亡くなり、再び祖母に会うことはありませんでした。祖母が一人暮らしをしていたこと、遠く離れた施設に入ったことなど、私の中では「本当は良くないこと」のように、漠然と感じていました。きっと、身内が面倒をみるべきだという思い込みがあったからでしょうか。 今「家族とは?」と皆さんに問うと、なんと答えるでしょう。「心の支え」と答える方や「生きる目的」と答える方まで様々かと思います。私は、家族は良い意味でも悪い意味でも一つの「縛り」のように思います。「家族だから自分を犠牲にしてもしてあげたい」と思い行動することで、自分の安心や満足、生きる目的につながることもあれば、気持ちとは裏腹に「家族なのだから、自分を犠牲にするべきだ」という義務感や世間体に追い詰められることもあるからです。家族の中には、それぞれの事情やそうならざるえない歴史や、秘密が詰め込まれているのが現実です。ならば、家族のあり方は、多種多様であるのが自然です。正しい「家族のカタチ」は、存在しません。しかし、実際は社会の「家族はこうあるべき」という見えない縛りによって、そうできていないことに対して「私は親孝行できていない」とか、或いは「子どもに対しても良い親じゃない」という後ろめたい気持ちから逃れられないということはないでしょうか? あなた自身の気持ちや事情にあった家族のカタチを探すことや、「これで良いのだ」という納得どころを探すことは、難しいかもしれません。育児中の方も介護中の方も、しないといけないことに追い立てられるのは、現実的には当然のことです。でも、少し立ち止まって考えてもらいたいのです。「周りからどう見られているのか」とか、「世間一般」という言葉によって、あなた自身を縛り、あなたの家族のカタチではなく、無理をした家族のカタチを作ろうとしていないかということを。 家族のことというのは、人には話しにくいものです。しかし、育ってきた家族も、今あなたが居る家族も、あなたの気持ちや行動に大きな影響を与えているのも事実です。「KKCこころのあんしんサロン」では、さまざまな悩みに対応しています。親子の関係、夫婦の関係など、ご自身でしんどさや、不安などを抱えておられたら、カウンセラーとどうしたらよいのか、あるいはどう気持ちを整理したらよいのか一緒に考えていきましょう。家族のカタチKKCこころのあんしんサロン カウンセラー 臨床心理士 高松 みどりからのメッセージからのメッセージ21 KKCヘルスネットワーク No.84(2013. 9) 

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